第14章 神宮大麻・暦

お伊勢さまのお神札と日本の正式な「暦」

[神宮大麻]

一、神宮の「お神札(おふだ)」のことをなぜ「大麻(たいま)」っていうの?

 神宮大麻(じんぐうたいま)の「大麻(たいま)」とは、本来「おおぬさ」と読み、「ぬさ」とは、神さまへの捧げ物、お祓いの際に用いられる木綿(ゆう)、麻などのことです。現在でも神社で使われるお祓(はら)い用の神具を「大麻(おおぬさ)」といいます。そこから、厳重なお祓いをへて授けられるお神札を「大麻(たいま)」と呼ぶようになったといわれています。
 平安時代も末期になると、多くの人々が神宮にお参りするようになりました。そこで神宮と全国の崇敬者を執り持つ「御師(おし、おんし)」とよばれる人々が登場しました。御師は神宮に奉仕する神職でしたが、全国から多くの崇敬者の真心を受け入れ、参宮の案内や自邸の神楽殿での御神楽や御祈祷をうけもちました。さらに、全国津々浦々におもむき御祈祷を行い、神宮の御神徳を各地に広めていったのです。
 その際、崇敬者のために御師がお祓いし、祈祷を込めて頒布した「御祓大麻(おはらいおおぬさ)」が現在の神宮大麻の起源といわれています。江戸時代後期の安永年間には、全国の約九割もの世帯が大麻を受けていたとの記録もあります。
 明治四年、神宮制度の改革を受けて、翌五年より神宮大麻は神宮から直接頒布されることになりました。
 これは、明治天皇の「朝夕に皇大御神(すめおおみかみ)を慎み敬い拝むための大御璽(おおみしるし)として神宮大麻を国民全戸に漏れおつることなく奉斎せしめよ」との大御心(おおみこころ)のもとに、国民があまねく大御神さまの広大無辺の大御光(おおみひかり)をいただくための大麻頒布制度の改革でした。
 その後、数度の変遷を経て、神宮大麻は神宮神部署(かんべしょ)から各府県の神職会を通じて頒布されるようになりました。
 昭和二十一年に神宮を本宗(ほんそう)と仰ぐ「神社本庁」が設立され、これにともない、神社本庁は「神宮司庁(じんぐうしちょう)」から「神宮大麻・暦」の頒布を全面委託され、全国約八万の神社の神職・総代等によって、頒布されるようになりました。

二、「神宮大麻(じんぐうたいま)」はいつ受けるの?

 新年を迎えるにあたっては、新しい神宮大麻(じんぐうたいま、天照大御神さまのお神札)を神棚の中央におまつりします。その意味は、年の初めにあたり新しいお神札で日本の総氏神さまである天照大御神さまをおまつりすることにより、更なる御神威の発揚を願い、より一層の御神徳をいただくためです。
 この神宮大麻は、年末に地元の神社を通じて頒布されます。皆さんのご家庭の年末の大掃除に際しては、神棚をきれいにして新しい「神宮大麻」をおまつりし、新年を迎える準備をするのが昔からの慣わしです。
 また、一年間お守り頂いた「お神札」や「お守り」は感謝を込めて年末に神社に納めます。地元の神社では納められたお神札を清浄な火で丁重に焼納します。
 なお、神宮大麻のいただき方や、古いお神札の納め方、どんと焼きは地域により慣習や時期が異なりますので、地元の神社へお問い合せ下さい。

三、氏神さまのお神札とどうちがうの?

 神宮大麻は天照大御神さまの広大無辺の御神徳を仰ぎつつ、家族や職場の平安を願っておまつりするものであり、氏神さまは地域の守り神です。おまつりするにあたっては、「神宮大麻」とともに「氏神さまのお神札」もおまつりします。
 氏神さまは私たちの住んでいるそれぞれの地域をお守り下さり、広く日本をお守り下さっているのが「お伊勢さま」なのです。
 それぞれの地域に住む者として「氏神さまのお神札」を、そして日本人として「伊勢の神宮のお神札」をおまつりしましょう。

四、どこから受ければいいの?

 「神宮大麻」は地元の神社からお受けするか、神社の総代の手によって各家庭に頒布(はんぷ)されます。
 「神宮大麻」の頒布は、明治四年以来いく度かの変遷をかさね、終戦にともない、昭和二十一年から神社本庁に委託されました。戦後の混乱期、疲弊した日本の建て直しのため「神宮大麻」を通じて皇祖神(こうそしん)であり日本人の大御祖神(おおみおやがみ)・総氏神さまである天照大御神さまを拝し、天皇陛下を中心とした私たちの祖国「日本」を再建すべく、いち早く神社界の先達が「神宮大麻」領布の「御委嘱」を願い出ました。以後、神社本庁は各県神社庁の支部・神社を通じて神職や総代をはじめとした神社関係者の協力を得て、全国の家庭のみならず、店舗・会社にいたるまでくまなく頒布すべく全国運動を展開しています。
 それぞれの地域にまつられる神社は、古くから地域の中心として、氏子の「心のよりどころ」です。その神社に奉仕する神職は、代々その大前に日々額(ぬか)づき、皇室の繁栄と国家の隆昌、氏子の安寧を祈ってきました。
 その心を受け継ぎ、総代をはじめとする頒布従事者の協力を得て、全国の家庭にあまねく「神宮大麻」が頒布、奉斎されることにより、お伊勢さまと国民の心が一つに結ばれるのです。ここに神社を通じた神宮奉賛の心があります。

五、おまつりの仕方は、どのようにすればいいの?

 「神宮大麻」は薄紙(うすがみ)で包まれております。この薄紙は、各家庭に届き神棚に納められるまで、決して汚れることの無いよう、神宮大麻の上包みとして施されているものです。ですから、この薄紙は、神棚におまつりする際に取り除いても差し障りありません。
 神棚の宮型におまつりする場合、三社造り(さんしゃづくり)の場合は宮型の中心に、一社造り(いっしゃづくり)の場合は、他のお神礼と重ね合わせ、一番手前にくるようにおまつりします。
 神宮大麻の奉製から頒布にいたるまでは、伊勢の神宮において、まず年始にその年の大麻奉製を始めることを御神前に奉告する大麻暦奉製始祭より、大麻用材伐始祭、大麻暦奉製終了祭、そして大麻修祓式をおこない、神宮大麻を祓い清めます。 
 また、その年の大麻と暦の頒布を開始することを大御前に奉告する神宮大麻暦頒布始祭と、無事に終了したことを奉告する神宮大麻暦頒布終了祭が行われ、各都道府県の神社庁や各神社においても大麻暦頒布始祭・終了祭が行われます。
 各家庭へは、地元神社の神職や総代が頒布しますが、いずれもお伊勢さまと各家庭とを結ぶ重要な奉務であることを心して奉仕しています。神宮大麻を受ける際には、お盆などで戴くのがより丁寧であるといえます。
 神宮大麻は、われわれ日本人の大御祖神である天照大御神さまの御神徳を仰ぎ、その御神恩に感謝するためにまつる大御璽(おおみしるし)です。このため奉製から頒布にいたるまでに常に清浄であることを心がけて取り扱われるのです。

[神宮暦]

一、「神宮暦(じんぐうれき)」がなぜ日本の正式な暦(こよみ)なの?

 「神宮暦」には、「神宮大暦(大暦)」と「神宮暦(小暦)」があります。お神札を全国各地に配布していた伊勢の御師(おし)が土産として持参したのが「神宮暦」のもととなる「伊勢ごよみ」でした。
 人々が一年の正確な周期を知る上で、古くからたいへん重宝されました。この「伊勢ごよみ」は科学的な暦であり、その後、明治以降になると、神宮より発行することとなり、今日もその伝統と文化的価値は連綿として引き継がれています。
 昔は、農林漁業にたずさわる人口が圧倒的に多く、耕作や種まきの時期を知るために、年間の季節の推移を正確に知ることは、日々の生活の上でも非常に重要なことでした。
 また、明治十六年には、わが国唯一の正式な暦として、名称も「本暦(ほんれき)」と改められました。
 この「本暦」に改良を加えたものが、今日の「神宮暦」です。数多い暦の基本型として農林漁業にたずさわる方々をはじめ、多くの方々に愛用されています。

二、どんなことが書いてあるの?

 「神宮暦」の特色は、非常に正確で詳細な気象と農業の情報にあります。
 その内容は、「日次(ひなみ)・七曜・六曜・国民の祝日・祭日・節気・雑節・干支・月齢・旧暦・月出月入・満潮干潮・農作業の目安が記載されています。
 また、大暦には代表的な地方都市のデータが記され、観測所・測候所が減少の一途をたどる現在では、貴重な気象基本資料としても活用されています。

三、どこから受ければいいの?

 「神宮暦」は、「神宮大麻」とともに神社本庁がその頒布を委託され、神社庁の支部、神社を通じて全国へ頒布されていますので、地元の神社におたずね下さい。

コラム

神宮の文化施設

神宮徴古館(じんぐうちょうこかん)

 神宮徴古館は、神宮崇敬の歴史と、日本の文化を示す「歴史と文化の総合博物館」です。
 徴古館は、明治三十年代に日本で初めての私立博物館として財団法人「神苑会」により企画され、有栖川宮を総裁とする国家事業で進められ、明治四十二年(一九〇九)に完成しました。
 明治四十四年(一九一一)に神宮に奉納され「神宮徴古館」として親しまれてきましたが、昭和二十年(一九四五)戦火をうけ、建物と収蔵品の大部分を惜しくも焼失しました。
 昭和二十八年(一九五三)、第五十九回の式年遷宮を記念して復旧。徴古館は平成十年(一九九八)に国の登録有形文化財に指定されています。

神宮農業館

 神宮農業館は明治二十四年(一八九一)神苑会が外宮前に創設したのがはじまりです。
 農業館の目的は、皇祖・天照大御神と、産業の守護神である、豊受大御神の御神徳を広めるため「自然の産物がいかに役立つか」を一大テーマとする日本最古の産業博物館です。
 明治時代の殖産興業をめざす「博物館の博物館」をご覧いただくことができます。

神宮美術館

 神宮美術館は、平成五年(一九九三)の第六十一回式年遷宮を記念して創設されました。式年遷宮に奉賛して当代最高の美術・工芸家の方々(文化勲章受章者・文化功労者・日本芸術院会員・重要無形文化財保持者)から献納された絵画・書・彫塑・工芸を収蔵・展示しています。将来遷宮が行われる二十年ごとにその時代を代表する秀作を収めて、「我が国の美術史が展望できる全国に類をみない美の殿堂」をめざしています。

神宮文庫

 古来、内宮・外宮の域内には文殿(ぶんでん)や神庫(しんこ)という記録文書を納める施設があり、古儀を重んじる神主の研究調査に利用されていました。江戸時代に入り、慶安元年(一六四八)には、外宮の東隣に豊宮崎文庫(とよみやざきぶんこ)が創設されました。また、貞享三年(一六八六)には、内宮文庫が建てられましたが、元禄三年(一六九〇)に内宮近くの林崎の地に移され、林崎文庫(はやしざきぶんこ)と改称されました。両文庫は、図書館であると共に神職子弟の教育機関でもありました。
 やがて、明治四年(一八七一)の神宮改正にともない、両文庫をはじめ文殿・神庫等の蔵書を合わせて設立されたのが神宮文庫です。
 現在の建物は、大正十四年(一九二五)に建てられた和洋折衷の建造物で、閲覧室や事務室などを配しています。